第二次王子の乱

反対勢力を完全に滅ぼした李芳遠は、定宗より譲位を受け、第3代太宗として即位する。

太宗は、内乱の原因となる王子達の私兵を廃止すると共に軍政を整備し直し、政務と軍政を完全に切り分ける政策を取った。

また、李氏朝鮮の科挙制度、身分制度、政治制度、貨幣制度などが整備されていくのもこの時代である。明に対しては徹底的な親明政策を取り、1401年には明から正式に朝鮮王の地位に冊封されることになる。

また、倭寇対策に対しても積極的な政策を取ることになる。

太宗は、1418年に世宗に王位を譲り上王になったが、軍権はそのまま維持し、1419年の応永の外寇の指示にも当たっている。

次代の世宗、いわゆる世宗大王の時代が、李氏朝鮮の中で政権が最も安定していた時代とされる。王権は強固であり、また王の権威も行き届いていた。一方で1422年まで太宗が上王として実質的な権力を保持していた。

世宗は、まず政治制度を王の一極集中型から議政府を中心にした官僚主導の政治に切り替えた。

これには世宗の健康問題もあったと言われている。

また、明との関係を良好に保つための人材育成にも力を入れた。
update:2010年02月22日